今年も年始ライド行ってきました。
クリーク奮闘記 終結
中央アメリカ征服後 中央アメリカ征服後、クリークは親仏派が相も変わらず実権を握っていた。そして気づいてみれば後のカナダ領や南米のほとんどがフランス領になっていて、大フランス帝国が完成していた。その領土は非常に広く、インド … 続きを読む
2023/8より移行しております。
中央アメリカ征服後 中央アメリカ征服後、クリークは親仏派が相も変わらず実権を握っていた。そして気づいてみれば後のカナダ領や南米のほとんどがフランス領になっていて、大フランス帝国が完成していた。その領土は非常に広く、インド … 続きを読む
中央アメリカ征服 ポルトガルへの戦いが終わった後、未だポルトガル領に駐留していた部隊は次なる目標にたいしての行動を開始した。次の目標はアステカである。 ポルトガルによってもはや虫の息になっていたアステカであるが、それでも … 続きを読む
第二次クリークポルトガル戦争 技術的にはかなわないが総兵力で勝るポルトガル同盟(ポルトガル、コノート、レンスター、アラゴン、ウェールズ)はついに宣戦布告をしてきた。 これに対してクリークは迅速に対応し、海岸沿いに大型船3 … 続きを読む
安寧の50年 第一次クリーク・ポルトガル戦争後、クリークにとって敵となりうる存在はフランスだけとなっていた。 「ポルトガルには勝てた。ならば次はフランスとの戦いか」 という考えが浸透しつつあった。 しかしそんな時期に大長 … 続きを読む
第一次クリーク・ポルトガル戦争 長い間、ポルトガルの脅威にさらされ、懐柔政策によって戦争にならずにすんでいたクリークであったが、1570年代からポルトガルが衰退を始めていた。 それに対してクリークは植民地領奪取の計画を練 … 続きを読む
文明開化 植民地政策により旧フランス植民地領を本格的に我が領内に編入することに成功をしたクリークは文化の西洋化が行われることとなった。 1559年のことである。 これにより飛躍的な技術発達が起こったクリークは海軍技術では … 続きを読む
ポルトガルの登場 第一次クリーク・フランス戦争で勝利を果たしたクリークであったが、次の戦いに備えて準備をしなければならなかった。 これから先、次々に西洋諸国が現れることは目に見えている。それに対抗するためにはなんとかして … 続きを読む
第一次クリーク・フランス戦争 ついにフランスが隣接州に植民地を作り出した。 このまま放置していては追い出すことはかなわなくなるだろう。 そう感じた時の大長老ウィリアム一世マッキントッシュはフランスとの戦争を決意した。 1 … 続きを読む
長き平穏 ショーリーを併合してもはや敵はいなくなったため、内政へと目を向けることとなった。 だが旧ショーリー領と旧チェロキー領内では反乱が連続で起こっていた。 鎮圧しては再度起こる。 時間が解決するであろう事ではあるがそ … 続きを読む
1459~1460 ショーリー侵略戦争 1459年10月2日、クリークは宣戦布告へと踏み切った。 クリーク軍はTENNESSEEに第二臨時部隊3000(傭兵)、TUSKEGEEに第一部隊(正規部隊2000+傭兵部隊100 … 続きを読む
不穏な動き 大長老ミコ・マラッチ一世によるショーリーとの婚戚関係は国内に不穏な風を巻き起こした。 そんな中、ミコ・マラッチ一世が突然この世を去ることとなった。1458年3月1日のことである。 そして新たに就任したのは第一 … 続きを読む
一時の平和 チェロキーが併合された後、我が国に一時の平和が訪れた。 近くにある国はショーニー一国という状況であり、我が国の方が大きくもあったために攻められる恐れもなくなったのだ。 だが、旧チェロキー領で反乱が起こった。 … 続きを読む
1454~1455 クリーク侵略戦争 3月29日、大長老ブリムが死去した。新大長老にはミコ・マラッチ一世(能力は行政8軍事4外交8)が就任した。 ミコ・マラッチ一世は新たなる製作により国力増強を行おうとしていた。それをお … 続きを読む
状況確認 当時のクリークという国はアメリカ東南部に位置した。 カリブ海に面した温暖な気候であり、隣接する国はチェロキーのみである。 統治形態は部族民主制をとっていた。 財政も悪くなく外部侵攻などということも行ってなかった … 続きを読む
今年も初詣です。 明治神宮to靖國to秋葉原to新宿。 去年から自転車で回り始めてますので秋葉原の初売りイベントには参加せずです。 今年はちばサイクル藤沢店さんの初売りには参加したいかなぁ、と。 それと今年 … 続きを読む
友人が自転車購入したということで一緒にライドしてきました。
前々から注文しているBLOCKSですが12/21に発送連絡が来ていました。
EuroTrackSimulator2、初めて見ました。