クリーク奮闘記 第二次クリーク・ポルトガル戦争

第二次クリークポルトガル戦争

技術的にはかなわないが総兵力で勝るポルトガル同盟(ポルトガル、コノート、レンスター、アラゴン、ウェールズ)はついに宣戦布告をしてきた。

これに対してクリークは迅速に対応し、海岸沿いに大型船3からなる防衛艦隊を七個艦隊配備し、かつポルトガル連合の植民地と接する州には傭兵部隊を配置した。

コノート軍部隊(1000人)が先制攻撃をかけたがこれを撃退し、逆に制圧した。また、ポルトガル植民地領に素早く進撃し、順次制圧しポルトガルを早々に追い詰めていった。

その一方でアラゴンによってカリブ海に浮かぶ島々の植民地は制圧、奪取されてしまった。

クリークはアラゴンに二カ所の植民地をとられたがそれについては水に流して痛み分けで単独和平を行った。

またポルトガル植民地の多くの領土を占領した結果、コノートはポルトガルによる支援は不可能であろうと判断し、早期に独自に500ダカットを支払うことによって和平を締結した。

ポルトガルはそうしている間にも何とか挽回しようといろいろ策を練っていた。

クリーク東海岸を強襲し、一気に上陸作戦を試みようとしたりし、事実、防衛艦隊が敗退するといった自体もあったが上陸するには至らなかった。

そしてアメリカ大陸すべての植民地領を制圧されたポルトガルは和平交渉にテーブルに着かざるを得なくなった。

クリークが突きつけたのは以下のようなものであった。

ポルトガルにとって多くの人的資源を費やして得てきた植民地を失うことは避けたかったが、それを拒否できるだけの力は残っていなかった。

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クリーク奮闘記 第二次クリーク・ポルトガル戦争」への2件のフィードバック

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